Aug 19, 2009

新入社員時の従業員研修

私が大学を卒業してすぐに入社した会社では入社すぐに職員研修をしています。 2日間、都内の研修室のようなところが貸切になって、朝早くから夜遅くまでの従業員の研修をしました。社会に出てからのマナーや営業業務の方法など、シミュレーションの種類を混ぜて、色々と学ぶことができた。非常に参考にされています。
事務用品でお馴染みのクリアファイルです紙を挟むだけでなく、様々なところで活躍しています。私のお気に入りの方法は、ハンカチの収納です。子供が二人のために毎日新しいハンカチをそれぞれ持たせるため、ハンカチの量が多くなってしまいました。子供なりに見栄があるようで、同じハンカチだけで恥ずかしいと呼ばれます。ハンカチも量が多いと引き出しに入れてもフワフワ膨らん出入りするときかかったり、せっかくアイロンをかけても変なシワができています。そこでクリアファイルにハンカチの色、他のキャラクター別素材別に入れてしまうことにしました。これにより、好きなハンカチにも簡単に見つけることの引き出しにかかることがあります。
 デジタルゲームについての学術的研究を目的とし、2006年の設立以降様々な活動・研究を続けている「日本デジタルゲーム学会(DiGRA JAPAN)」。その2010年次大会が去る12月18日、19日の2日間、江東区の芝浦工業大学芝浦キャンパスにて開催されました。【池谷勇人,ITmedia】

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 数あるプログラムの中でもやはり注目を集めたのは、日本デジタルゲーム学会理事であり、「ゼビウス」の生みの親としても知られる遠藤雅伸氏がモデレータを務めた初日の基調講演。「日本ビデオゲームの黎明」と題した同講演では遠藤氏のほか、「パックマン」の岩谷徹氏、「スペースインベーダー」の西角友宏氏、「ギャラクシアン」の石村繁一氏も登壇し、ビデオゲームという市場・文化がどのようにして生まれ、定着していったかが語られました。

 講演の中で特に印象に残ったのが、今となっては貴重な、ビデオゲーム黎明期の話題。石村氏によれば、日本にビデオゲームが入ってきたばかりのころは、いわゆる「エレメカ」と呼ばれる機械式のゲーム機が主流で、まだ技術的にも未成熟だったビデオゲームは、演出でもゲーム性でもエレメカに及ばなかったとのこと。

 その一例として岩谷氏があげたのが、中村製作所(後のナムコ)の「F1」というエレメカ。これは幻灯機を使ったレースゲームの一種で、筐体内部で透明なコース&F1カーの模型が回転しており、それを電球で照らすことで、正面のスクリーンに3Dのコースを映しだすというもの。こう書くとややチープな印象を受けますが、実際に動いている映像が再生されると、会場からはその迫力・スピード感に「おおー!」という驚きの声があがったほどでした。「ビデオゲームがCGなら、エレメカは特撮のようなもの。ありものの技術で、どうすればそれらしく見せられるかを考えていた」と西谷氏は当時を振り返ります。

 また岩谷氏によれば、「F1」では模型と光源とをなるべく近づけて配置することで、なるべくプレイヤーの視点を低くするよう工夫したとのこと。これは視点が路面に近くなるほどスピード感が増すためで、こうしたノウハウは後の「ポールポジション」や「リッジレーサー」にも受け継がれているそうです。

「昭和30年ごろのナムコ(中村製作所)では、1回5円で遊べる子供用の木馬をデパートの屋上に置いたりしていた。これもある意味ではバーチャルリアリティですよね。子供の頭の中では、本物の馬に乗って遊んでいるイメージ。やっていることは現代のゲームと同じなんです」と岩谷氏。ビデオゲームの台頭によって今では下火になってしまったエレメカですが、当時は「エレメカに追いつく」というのがビデオゲームのひとつの目標であり、エレメカ開発によって培われた技術や発想は、現代の現代のゲームにもしっかりと息づいていることがわかります。

 一方、エレメカからビデオゲームへと時代が移り変わっていくにつれ、ゲームのスタイルも大きく変わっていきました。岩谷氏によれば、当時のエレメカは1プレイ30円が基本で、そもそも「100円玉を入れるという発想がなかった」のだそう。またゲームの腕前にかかわらず、一定時間プレイすると自動的にゲームが終了するものが多かったとのことです。

 これに対し、ビデオゲームは当時から1プレイ100円が主流。その結果、100円という料金でも納得してもらえるようにと、プレイ時間は長くなり、ゲーム展開もよりドラマチックなものへと進化していきます。プレイ時間については、制限時間を廃し、ゲームオーバーを設けることで、上手な人はより長くプレイできるよう変更。またゲーム展開についても、例えば中盤にボスを配置し、それを乗り越えるともっと長く遊べる――といった具合に、進み具合に応じて変化をつけるようになっていった。これは、言い換えればゲームに「物語」が生まれた瞬間と言ってもいいかもしれません。

 今となっては「ゲームオーバー」や「物語」のないゲームなど考えられませんが、これらの要素が生まれるきっかけが、「1プレイ100円」というビデオゲームの料金設定にあった――というのは興味深い発見でした。

 そのほか講演では、生みの親である西角氏から「スペースインベーダー」の開発秘話が明かされたり、当時のゲームセンターと、それをとりまく社会背景などについて議論が交わされたりといった場面も。当時のゲーム業界の中心人物たちならではの熱のこもった対談に、会場からはしばしば感嘆の声があがっていました。

 「スペースインベーダー」のヒットから今年で32年目。来場者の中には、実際にこうした「エレメカ」で遊んだことはないという人も多く、こうした黎明期のエピソードが、今となっては非常に貴重なものになりつつあるということを改めて感じさせられました。こうした「ゲームの歴史」をまとめて、後生に伝えていくのも日本デジタルゲーム学会の重要な役割と言えるかもしれません。


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