Jul 31, 2011
ナノテクノロジーを利用したアンチエイジング製品
アンチエイジング市場は拡大を見せているため、企業でも新規参入を開始するところがあります。これまでの事業で培ったナノ技術で肌の浸透成分の開発が進められています。今までのアンチエイジング化粧品は、コラーゲンも水溶性と透湿性はあったのですが、それ以外のピココラーゲンを配合しているため、お肌に新鮮な弾力感を出せるようになっています。年齢を重ねると、毛穴が縦に伸びてしまったような状態になって目に容易になります。フォトフェイシャルの光を照射すると、開いてしまった毛穴を引き締めキメの整った美しい肌へと導いていきます。肌のハリを出したり、毛穴を目立たなくするには、通常のフォトフェイシャルよりも写真のオーロラと呼ばれる特殊な手術のほうがより効果が期待できます。
家族や友人の安否を代わりに調べます−−。バンドボーカルの梶賀(かじか)哲平さん(21)=仙台市宮城野区=は東日本大震災後、短文投稿サイト「ツイッター」で安否確認の依頼を受け、被災地を自転車で走り回った。携帯電話などが通じにくい中、見ず知らずの約150人の無事を確かめた。
【東日本大震災 図説集】
梶賀さんは友人と同居中のマンションで被災し、近くの高校に避難した。余震と停電が続く中、家族の無事を確かめるため徒歩約1時間の実家へ向かおうとしたが「がれきが散乱した夜道は危険」と周りに止められた。
電話もメールも通じず、ツイッターが唯一つながった。被災を免れた基地局がある地域などでは携帯電話の通話が集中しても、インターネット上で交信するツイッターは比較的つながりやすかった。
<両親、祖父母と連絡とれない。心配>
必死の思いでつぶやくと、約1時間後に返信が届いた。
<皆さん、ご無事だそうです。お父上も帰宅されていました>
ツイッターを読み、実家の様子を見に行ってくれた知人からだった。「安否が分かり安心したが、他にも家族らと連絡がとれず心配している人が大勢いると思った」
<自転車で近辺の安否をできる限り調べます。心配な方はメールください>
梶賀さんが12日に再びつぶやくと<息子夫婦の家を見てきて><親と連絡がとれない>など、その日の依頼は約20件に上った。2日目以降は高校時代の同級生やバンド仲間計3人も協力。地図を片手に、自転車で1日約15時間走り続けた。
老人福祉施設の入所者の家族に頼まれ、1時間半かけて確認に行ったり、脳性まひの男性宅では電話がかけられない本人に代わり家族へ連絡し、男性の声を聞かせた。「会ったこともない多くの人たちに『ありがとう』の言葉をもらい自分も元気づけられました」
梶賀さんが安否確認の方法を紹介したサイトは264人がリツイート(転送)し、被災地で同じように活動した人たちがいたと人づてに知った。「誰かの役に立ちたい一心で始めたが、自分の知らないところで活動の輪が広がり、一人でも多くの安否確認につながったならうれしい」【清水優子】
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東日本大震災では福島県も津波で大きな被害を受けた。しかし、その復興には福島第1原発の事故が暗い影を落とす。避難指示区域(原発を中心とした半径20キロ)以外でも、住民の多くは遠隔地に避難したままだ。「宮城や岩手と違って、私たちは散り散りになってしまった」と、住民はため息をつく。
福島第1原発から35キロのいわき市久之浜地区。屋内退避圏(原発から20〜30キロ)のすぐ南にあたる。ここでは津波で42人が犠牲になった。高さ6.2メートルの堤防を越えて津波が押し寄せ、約510棟が全半壊した。地区の中心部では火災も発生し、2日間燃え続けた。
久之浜では津波から1カ月たった12日朝、ようやくがれきの撤去が始まった。市に委託された業者が重機でがれきをダンプカーに積み込む。だが、住民の姿はほとんどない。少し離れた所では、まだ自衛隊による行方不明者の捜索が続く。
市内に勤める派遣社員の根本仁美さん(44)は、がれき撤去の作業を見守った数少ない住民の一人だ。両親と3人で暮らしていた自宅は津波で半壊した。
3月11日の大地震発生時は職場から帰宅する途中だった。久之浜に戻ると、母親は高台の中学校に避難していた。津波になぎ倒され、なおも炎上する家々を眺めながら、地区の住民たちと肩を寄せ合い、励まし合った。父親も外出先から親類の家に避難して無事だった。しかし、翌12日の原発の水素爆発で状況は一変する。
市は原発に近い同地区に自主避難を呼びかけた。以降、根本さんは両親と共に市南部の避難所、栃木、茨城の親類宅などを転々とした。他の住民も同様で、市外や県外に移ったままの知人も多い。
あれから1カ月。根本さんの目には、報道される宮城や岩手の津波被災地は、地域住民が一丸となって復興に歩み出しているように映る。しかし、眼前に広がる久之浜の光景は1カ月前と全く変わっていない。
「故郷に戻りたくても、原発事故のせいでためらっている人がたくさんいる。復興の担い手となる住民が戻らなければ、再び活気ある町は取り戻せない」。閉ざされたままの未来の不安は募る。
それでも、一日も早く久之浜に戻りたいと思う。幸い、自宅は修理すれば住むことができる。その準備のため、根本さんは今月8日にいわき市に戻り、両親とアパート暮らしを始めた。【袴田貴行】
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